吹奏楽の青春
中学生の頃。
当初テニス部に所属していた私は、
学園祭の「吹奏楽部」の演奏に心を奪われてしまった。
様々な楽器を手に、スポットライトを浴びながら、
楽しそうにスイングする部員。
彼女たちは本当に同じ中学生なのかと我が目を疑ったくらいだ。
その感動は私をすぐに動かした。
早々に退部手続きをすると、
その足で、吹奏楽部に入部することにしたのだ。
サックスやトランペットなど
花形の楽器を演奏することを夢みてたのだが、
私が配属になったのは「ホルン」だった。
ん?
ホルンってなんだ?
予想外の配属に私がまず向かったのは図書室だった(笑)
ふむふむ。
ホルンとは、狩りの時に『獲物を発見した』『獲物を捕らえた』などの信号を後ろにいる仲間に送るための、角笛としての役目も担っていたらしい。
え。めっちゃ格好いいじゃん!
歴史好きの私は、戦国時代の合戦でホラ貝を吹き鳴らすシーンに憧れていたので、
自分にぴったりの楽器に大満足だった。
だが、しかし。
ホルンというのは、
なぜこんなにも見せ場がないのか(笑)
演奏中も、
ちょっとだけ「プー」と顔を出したり、ひっこめたり。
…この繰り替えしである(笑)
2年にあがると私は一大決心をした。
当時、部員の中で誰も使用していない楽器に目をつけたのだ。
そう、「コントラバス」である。
歴代の部員の中で「コントラバス」を担当した人は誰もいなかった。
だけど、私は昔からベース音がなぜか好きだったのだ。
先生に申し出ると、私は「コントラバス」の一人部員として、チューバと一緒にパート練習をすることになった。
指導してくれる人は誰もいない。
必死にコントラバスの本を読み漁り、
独学で音階を理解し、少しずつ自分なりにひくことができてきた。
苦戦したのは「ピッツィカート」と呼ばれる技法であった。
弦を指ではじくことによって音を出す演奏技法なのだが、
中指と人さし指で弾くことが、力がない私には本当に難しかった。
何度やっても、きちんとした音がでないのだ。
そこで、私は勝手にルールを変えることにしたんだ。
私は親指ではじく!そう決めた(笑)
演奏会やコンクールなどでは、
おそらく目立っていただろうが、
私には、親指の方が弾きやすいんだからそれでいいじゃないかと、
開き直る作戦にw
待ちに待った学園祭の日。
1年前は、舞台を眺めていた側だったのに、
今わたしはこの舞台に立ってるんだと思うと、
感動がじわじわと押し寄せてきた。
私は曲調によって、コントラバスとエレキベースに交互に楽器をかえながら、華麗にベース音を弾き鳴らして見せた(自分なりに)。
ヒュー!最高!!
ただ、一つ困ったのがさ。
「学園天国」での振り付けだったんだよ。
問題は、
「ヘーイヘイヘイヘーイヘイ!」
の後!!!(笑)
さらにワントーン高くなった、
「ヘーイヘイヘイヘーイヘイ!」
の時にさ。
みんなでかがめ!というご指示があったんだよね(笑)
ちょっと待って。
みんなはいいかもしれんけどさ。
あたしの楽器はコントラバス!
かがめねーんだけど!wwww
私は必死に、中腰になりながら演奏を続けたんだけど、
その様子をみていた「どさ美」やクラスメイトに爆笑されてしまった。
苦い思い出である(笑)
私にとって忘れられないのは、
中学3年生の頃のコンクール曲「輝きの海へ」という1曲だ。
先生からこんな話を聞いたんだよ。
「この曲を作曲した先生は、○○小学校の吹奏楽顧問の人物でな。当時の部員の中に、非行に走ってしまった生徒がいたんだよ。そんな生徒の心を取り戻したのがこの曲だったんだ。おだやかな海の情景のあとに訪れる嵐。荒れ狂った海は全てのものを飲み込んでいく。そして嵐のあとには、また穏やかな海に戻るんだ。それを先生はこの曲で表現した。この曲を演奏したその生徒はな。まるで自分の投影のように感じたそうだよ。嵐のあとに訪れる穏やかな海の何小節目かになると、必ず涙ぐむんだって。泣きながら一生懸命演奏するんだよ。人の心をふるわす名曲だ。」
中学校最後のコンクールにふさわしい曲を選んでくれた先生に感謝だ。
わたしたちは、この1曲に様々な想いを込めて演奏したんだ。
結果は全道には進めなかったけど、良い演奏ができた。
引退のとき、後輩部員たちが演奏してくれたのも、
「輝きの海」だった。
私達3年生にとって、思い入れがあることをよく知ってたんだね。
ありがとう。。