自由の身
私は一言でいえば「自由人」である。
世の中の常識や、場の空気を読むことが、
めんどくさくて仕方がない(笑)
右向け右!のような中では、
己の最大限のパフォーマンスを発揮できないとすら思っている。
(↑えらそうにw)
生まれ年の「辰年」の特徴をみても、「自由奔放に自分の個性を伸ばせる世界こそ大成する」。
誕生日の「タロット」は、他人の意見に惑わされず、自分自身の信念を貫き前進し、勝利や成功を象徴する「大アルカナ7番 戦車」である。
以前ご紹介した「陰陽五行説」では、曲直自在の才をもちながら一匹狼的な側面ももつ、水の陰「癸(みずのと)」に当てはまる。
干支は、強い精神力を持ち、孤独を厭わず粘り強く自分自身の道を切り開いて行く「戊辰」(つちのえたつ)。戊辰戦争の「戊辰」だよー!
これらが共通することは、
「自由」と「バランス」なんです!キリッ
「辰年」のポイントは、周囲に温かく見守ってくれる理解者がいてこそ、自由奔放に自分の個性を伸ばせるんです。
タロットの「戦車」も同様に、自分を信じて大胆な行動をするためには、葛藤を乗り越え、信念を貫く強さが必要になります。
そして「癸(みずのと)」は、どんな器にもおさまる器用さを持ちながら、一方で流されやすい一面もあります。
「戊辰」の性格は、高い目標と意識を持つゆえに、周囲との軋轢をうむ側面も。
何がなんでも押し通したい「自分の道」を進むために、次々と「立ちはだかる壁」をどう乗り越えていくか。
これが、私の人生のテーマといえるのだよ (笑)
私は、「自由」というものを昔からよく考えてきた。
私は「自由」にやりたい。
けど「自由」にやるには色々とめんどくさいことが多い。
どうすれば「自由」になれるのか…。
学生時代は、しばしばルールや縛りに反抗してきたのだが、それでは何も解決しないことを学んだんだよ。
そこで、自分の経験上見出したのが、
「自由」には資格があるということだった。
要は、
やることもやってない人が、
「自由」だの「権利」だのさ。
言える立場じゃないってことだ。
自由とは、「義務」を果たして、なおかつ自分の言動に責任をしっかりともてて、はじめて手に出来る「権利」だと思ったんだよ!
近年、「自由」という言葉を履き違えた御仁も沢山いる。
人を傷つける言葉を、人の迷惑になる行為を、好きに気ままにできるのが「自由」だってね。
そんなの、真の自由人じゃないよ!!(興奮)
例えば、芸術家などでは、本当に「自由」な御仁がいるかもしれないけど、彼らはそれに見合った「才能」というものがあるんだ。
その「才能」にほれ込んだ周囲のサポートがあってこそ、彼らには自由な時間が与えられる。
普通の人が、何も義務も責任も果たさず、
「自由」なんてダ・メ・だ・ぞ♪って、
そんなヤツがいたら、
是非わたしの前にさ、
引き合わせてほしいとさえ思ってる。
おでこをピ~ン!と指ではじきながら、
「自由なんていっちゃダ・メ・だ・ぞ♪」
って、どうしても言ってあげたいんだ(笑)
私は仕事においても、「自由」になるための努力を惜しまない。
仕事では、周囲をまずは認めさせるために、成果を先に出すことにしている。その実績を元に、自分の「主張」を周囲に説得したいのだ。いきなり「権利」から入っても反対されるに決まってる。
プライベートでは、基本的に最低限のことだけ抑えてれば、自由きままに日常を謳歌しても良いと考えてる。
本当は頭で考えるのは苦手だし、自分の感性一つで、自由気ままに生きていきたいんだけど、
自由であるために、私は足りない「頭」を一生懸命使って、努力してるんだよ(笑)
不自由な世の中で輝く、一瞬の「自由」な一時。
その時代、その時の責任をしっかりと果たしながらも、少しずつ積み上げた「自由」の枠の中で、粘り強く、己の道を貫き通すのだ。
自由と不自由は、表裏一体。
自由の身になれる日を夢見て、今日もわたしは今現在の責務を全うすべく、社内を駆け巡る日々を過ごしているw