【連載】祖父の第二次世界大戦①
母の旧姓は「味噌」です。
またまたご冗談をーw
と思われるかもしれませんが、
マジです(笑)
母は日本最北端である「利尻島」の出身です。
利尻島には「味噌」という名字の世帯が多いのです。
幼い頃から、毎年夏休みになると、私は利尻島の祖父母の家に遊びにいっていました。
人口は約5000人。
当時、島にはコンビニもスーパーもなかったので、生活必需品を買う時は、隣の稚内まで船で渡るような生活でした。
そのため、利尻島に行く時は、稚内の「西条」というスーパーに必ず立ち寄り、食料を買いこみます。
利尻行きの船は、カモメのイラストマークがシンボル。
父の車で船に乗り込むと、私は兄弟たちと共に甲板に出ます。
力強い潮風の匂いと、どこか寂しげな海の様子、空に広がるカモメの群れの光景が、最北端にいることを五感で感じさせてくれるんです。
かっぱえびせんを指ではさみ、窓から手をのばすと、カモメが直接食べにきてくれたりね。
母の実家は、鴛泊という地域です。
昔ながらの広い平屋で、子供たちが走り回る度に、年季の入った木の床が「ギシッギシッ」と音をたてます。
なんだか家も喜んでいるみたいだなぁっと子供ながらに感じていました。
「トトロ」に出てくるような屋根裏は、特に私の心をわしづかみにしました。
秘密の隠れ家に忍び込んでいるような感覚がたまらなく楽しかったな。
祖父は昆布漁とウニ漁を専門にした漁師なので、島にいくと、一家総出で昆布干しを手伝います。
漁ができる日は、「旗」があがるんです。
そして、早朝から「今日は昆布の旗があがりました。」と町内放送のスピーカーが鳴り響きます。
祖父が小型の船で、昆布をどっさり乗せて帰ってくるのを浜辺で待っていると、ゴマアザラシが顔を出し可愛らしい姿をのぞかせてくれます。北国ならではの光景に胸が躍ったものです。
島の滞在期間は、その年によって変動がありましたが、大体3~5日ほど。
その中の1日は、家の裏手でバーベキューをするのが恒例です。
祖父が採ったウニやらアワビやらの海産物を惜しげもなく焼き、お腹も心もいっぱい。
夜になると、子供好きな母の兄が子供たちを囲炉裏の前に集め、怖い話を語ってくれます。
その話を聞いた後は、肝試し。
2人1組でろうそくを持ちながら、家のまわりを1周して帰ってくるというシンプルなルールでしたが、大冒険でもするように、1歩1歩の足取りがまるで異世界への道に繋がっているような感覚になりました。
幼少期より、母の実家が「利尻島」というのは、ちょっとした私の自慢でした。
北海道とはいえ、「利尻島」に知り合いがいる人は珍しいのです。
当然、友人たちからも羨ましがられたものです。
小学生の頃、母の布団で一緒に寝ていると、よく子守唄がわりに利尻島の島唄を歌ってくれました。
私のお気に入りの歌の一つです。
「島を愛する」
♪山高くして 夢があり
♪山高くして 歌がある
♪ここ最果ての 利尻よ礼文
♪君をたずねて 姫沼悲し
♪我ら島を愛して 旅を行く
利尻島に溢れる自然が、私は大好き。
風、花、海、山、空。
その全てが、個々に意思を持ち、この最北の地で、力強く生きているように感じるんです。
そして、
利尻島が好きな理由の一つに、祖父の存在があります。
祖父は本当におだやかな人で、祖父のことを思い出すと、必ず笑顔の姿が浮かびます。
何より、人に対していつも謙虚で、いつも感謝しているような優しい男です。
私はそんな祖父が大好きです。
祖父は漁師をやっている割に、世間一般的な漁師像とはかけ離れた人でした。
出掛ける時はジャケットを羽織り、頭にはハット。
ハイカラさんで、昔のモダンボーイのようです。
事実、祖父の昔の写真を見ると、なかなかの美男子。
キリっと涼しげな眼元で、まるで昭和の映画スターのようにカッコ良いです。
(おじいちゃん、こんなにカッコイイのになんでおばあちゃんと結婚したんだろう…?ww)
そして、非常に博学であり、家には昔の物・本があふれています。
特に多かったのは「第二次世界大戦」にまつわるものですが、島の古くからの記録や書物、過去の新聞を几帳面に切り抜いたスクラップブック、ヒデオテープ、ブリキのおもちゃやプラモデル、人形、古いアルバムなどが広い家のあちらこちらに山積みとなっていました。
母や母の妹は決まって、「父さん、いらないものは捨てなきゃダメだよ」と帰省するたびに注意していましたが、私はなんてことを言うんだ!!といつも憤慨していました(笑)
他の兄弟とは違い、歴史好きな私は、この記録にかなりの価値を見出していたのでw
この古い記録は貴重な資料だよ!宝の山なんだよ!!(怒)
と鼻息荒く叱ったものですw
そんな私のことを祖父も可愛がり、よく、戦争体験の話をしてくれました。
祖父>
「空襲の時にな。自分が狙われているのかをすぐに見分ける方法があるんだよ。戦闘機が自分に向かってきているように感じたら、まずは姿勢を低くするんだ。そして、自分の両目の間に指をたてる。その指の延長線上に戦闘機があるなら、自分が標的だ。とにかく逃げるしかない。指の延長線上から戦闘機が少しでも外れていたら、自分はその瞬間、命拾いをしたということ。ただ、忘れていけないのは、自分が狙われていないってことは、他の誰かが狙われているってことなんだ。それが戦争なんだよ。わかるかい?」
(ああ。祖父の中ではまだあの戦争は終わっていないんだ)とよく思ったものです。
家に、第二次世界大戦にまつわるものがあふれているのも、祖父があの戦争を一度たりとも忘れたことがない証明。
私には、
祖父が、
「何故、あの戦争はおきたのか」
「あの戦争は本当に正しかったのか」
と、
ずっと悩み続けているように見えるんです。
現在88歳になった今も、答えを探しているようにうつります。
今年、祖父の88歳の米寿を祝うために、久々に我が家の家族と、母の妹の家族が利尻島に集結しました。
私は社会人になってから、一度も利尻島にいっていません。
祖父に会うのも数年ぶりのことでした。
そこで祖父ははじめて、
詳細に、鮮明に、
自らが体験した生々しい「第二次世界大戦」の記憶を私に話してくれました。
そもそも祖父は利尻島の生まれです。
そんな祖父には、どんな戦争体験があるのだろう?
利尻島の祖父が、第二次世界大戦をどう考えていたのか。
なぜこんなにも戦争にまつわるものを集めるのか。
長年の疑問がありましたが、
その理由をはじめて明かしてくれたのです。
戦争が始まる前のことです。
学生だった祖父は、若い頃から好奇心旺盛で、実家の漁師を継ぐよりも「東京にいってみたい。広い世界をこの目で見てみたい」という想いが強かったようです。
ある日学校の方へ、東京の軍事工場での働き口の知らせが届き、祖父の胸はときめいたそうです。是非志願したい!…けれど自分は味噌家の長男。
両親、特に漁師の父は認めてくれないだろう。。
若き日の祖父は葛藤する想いを胸に、父に東京行きを申し出ました。
案の定、父は猛反対。
どうしても志願したい祖父は、学校の教員に父を説得して欲しいと頼み込みました。
面談を終える頃には、頑なに反対していたはずの父が、手のひらを返すように、東京行きを承諾。
「うちの子供を宜しくお願いします!」とその場で頭まで下げる変貌ぶりだったそうです(笑)
その時代、学校の教員というのは、尊敬されるような立場。
その先生から、「味噌君は自らお国の為に東京行きを志願しました。我が校の誇りです。」と声をかけられたもんで、父も認めざる終えなかったのでしょう。
思惑通り、祖父は東京行きの切符を手に入れました。
やがて学校を卒業すると、川崎の軍事工場で部品づくりの仕事に携わりました。
好奇心旺盛な祖父です。
お昼休みになると、同僚と多摩川で泳ぎ、
休みの日には多摩川沿いの道を、羽田空港に向かって歩きながら、東京の街並みを目に焼き付けました。
暇があれば、電車やバスであちこち出歩きます。
当時の乗り物には、女性の運転手が多かったらしく、祖父は驚いたと語っています。
お金がなくなると今度は自分の足でどこまででも歩きます。
そのため、祖父は東京の地理を88歳の今でも鮮明に覚えています。
特に驚いたのは、当時の電車の沿線の話です。
自分がどんな電車に乗ったのか、その電車の終着駅はなんていう駅か、車窓から見える風景一つひとつを祖父は覚えており、私にこまかく教えてくれるのです。
祖父>
「おじいちゃんは死ぬまでに、○○線から見えたあの風景をもう一度みたいな。今でも覚えているよ。透き通るような綺麗な川のせせらぎの音、青々とした緑の生命力、本当に美しい光景だった。おじいちゃん本当にあの風景が大好きでね。目的地に行くには少々遠回りになっちゃうんだけど、それでもあの風景をみたくて、わざわざその沿線に乗ってたんだ。」
インターネットなんて、全くなじみのない祖父。
私は早速、祖父の話からキーワードを絞り込み、祖父が愛した懐かしい風景の写真をみせてあげました。
その時の祖父の感動した表情は、この先の人生も忘れないと思います。
さて、話を戻しましょう。
東京生活で何より楽しかったのは、神保町で古本を探しにいくことだったようです。
読書が大好きな祖父にとっては、それは夢のような街でした。
当時よく利用していた貸本屋の話をいきいきと語る姿に、まるで私も昭和の時代にタイムスリップしたように、情景が目の前にありありと浮かんでくるようです。
社員寮は、2人で1部屋。
押し入れは、上段が祖父の荷物スペースでしたが、神保町で購入した古本がぎゅうぎゅうに詰め込まれていました。
同僚>
「味噌君。また本を買ってきたのかい?給料を全部本に使うなんて信じられないなー。」
祖父>
「僕は、ご飯を我慢してでも本さえあればいいんです。」
同僚>
「いやー。信じられないなー。」
と、同室の友人の目からも不思議な存在にうつっていたようです(笑)
ある日、祖父は同僚に誘われ、男4人で横浜の中華街に行きました。
テーブルに座り、なにげなく奥の厨房に目をやると、蛇を調理する光景が飛び込んできて、祖父は驚愕したようです。
祖父>
「蛇だ!僕はあんなもん、ぜったい食わないぞ!!蛇なんて、絶対食わない!!!」
友人>
「味噌君、何を言ってるんだ。あれほどうまいもんはないんだぞ。いいからちょっと食べてみれ!」
祖父>
「嫌だ!どんなに餓えようとも、僕は蛇だけは嫌だ!」
当時中華街では、蛇料理がさかんに振る舞われていたようです。高級食材だったとか。
東北出身の友人は、普段から蛇料理に慣れ親しんでいたようですが、利尻島出身の祖父は蛇になじみがありません。
どんなに友人が説得しようとも、頑なに食べることを拒み、とうとう祖父だけ何もたべずに帰ったようです(笑)
そんな楽しい日々の中で、祖父は社会人2年目を迎えました。
祖父>
「先輩になるとな、今度は新しく入社した新人教育を任せられるんだ。その年入社したのは女の子が4人だった。当時の女の人はな、大抵髪が長いもんで、こうやって後ろに縛るか、おさげ頭が普通だったんだけど、おじいちゃんの下に就いた花子という女の子はね。髪はおかっぱで、ほっぺたはぷっくりして、あどけなさを残した、それはそれは可愛らしい子だったんだ。」
それぞれの新人には、1人ずつ教育担当の社員があてがわれました。
早速祖父の席の横に、花子ちゃんは小さな体で危なっかしく、自分の机をヨイショ、ヨイショと運びます。
席に座ると、花子ちゃんは顔を赤らめながら、遠慮気味にこう言ったそうです。
花子>
「…味噌先輩。。今度からお名前を呼ぶ時は、先輩とお呼びしても宜しいでしょうか?」
その言葉に祖父はピーン!ときたようです。
職場では、名字に先輩と付けて呼ぶことが普通でしたが、祖父の名字は「味噌」。その純情な女の子は、それが少し恥ずかしかったらしいのです(笑)
全てを察した祖父は、いまも変わらないあの優しい口調で、
祖父>
「ああ、いいよ!お前の好きなように呼ぶといいよ」
と答えてあげました。
花子ちゃんは、安心したように、はにかんだ笑顔で、コクっとうなづいたようです。
神保町での本屋めぐり。
真新しい東京の街並み。
可愛い後輩。
利尻島では味わえない、刺激的で充実した日々。
こんな幸せな日常を、祖父はめいいっぱい謳歌しました。
祖父にとって一生忘れることができない、
東京大空襲がおきたのは、このすぐ後のことでした。
続く。
自由の身
私は一言でいえば「自由人」である。
世の中の常識や、場の空気を読むことが、
めんどくさくて仕方がない(笑)
右向け右!のような中では、
己の最大限のパフォーマンスを発揮できないとすら思っている。
(↑えらそうにw)
生まれ年の「辰年」の特徴をみても、「自由奔放に自分の個性を伸ばせる世界こそ大成する」。
誕生日の「タロット」は、他人の意見に惑わされず、自分自身の信念を貫き前進し、勝利や成功を象徴する「大アルカナ7番 戦車」である。
以前ご紹介した「陰陽五行説」では、曲直自在の才をもちながら一匹狼的な側面ももつ、水の陰「癸(みずのと)」に当てはまる。
干支は、強い精神力を持ち、孤独を厭わず粘り強く自分自身の道を切り開いて行く「戊辰」(つちのえたつ)。戊辰戦争の「戊辰」だよー!
これらが共通することは、
「自由」と「バランス」なんです!キリッ
「辰年」のポイントは、周囲に温かく見守ってくれる理解者がいてこそ、自由奔放に自分の個性を伸ばせるんです。
タロットの「戦車」も同様に、自分を信じて大胆な行動をするためには、葛藤を乗り越え、信念を貫く強さが必要になります。
そして「癸(みずのと)」は、どんな器にもおさまる器用さを持ちながら、一方で流されやすい一面もあります。
「戊辰」の性格は、高い目標と意識を持つゆえに、周囲との軋轢をうむ側面も。
何がなんでも押し通したい「自分の道」を進むために、次々と「立ちはだかる壁」をどう乗り越えていくか。
これが、私の人生のテーマといえるのだよ (笑)
私は、「自由」というものを昔からよく考えてきた。
私は「自由」にやりたい。
けど「自由」にやるには色々とめんどくさいことが多い。
どうすれば「自由」になれるのか…。
学生時代は、しばしばルールや縛りに反抗してきたのだが、それでは何も解決しないことを学んだんだよ。
そこで、自分の経験上見出したのが、
「自由」には資格があるということだった。
要は、
やることもやってない人が、
「自由」だの「権利」だのさ。
言える立場じゃないってことだ。
自由とは、「義務」を果たして、なおかつ自分の言動に責任をしっかりともてて、はじめて手に出来る「権利」だと思ったんだよ!
近年、「自由」という言葉を履き違えた御仁も沢山いる。
人を傷つける言葉を、人の迷惑になる行為を、好きに気ままにできるのが「自由」だってね。
そんなの、真の自由人じゃないよ!!(興奮)
例えば、芸術家などでは、本当に「自由」な御仁がいるかもしれないけど、彼らはそれに見合った「才能」というものがあるんだ。
その「才能」にほれ込んだ周囲のサポートがあってこそ、彼らには自由な時間が与えられる。
普通の人が、何も義務も責任も果たさず、
「自由」なんてダ・メ・だ・ぞ♪って、
そんなヤツがいたら、
是非わたしの前にさ、
引き合わせてほしいとさえ思ってる。
おでこをピ~ン!と指ではじきながら、
「自由なんていっちゃダ・メ・だ・ぞ♪」
って、どうしても言ってあげたいんだ(笑)
私は仕事においても、「自由」になるための努力を惜しまない。
仕事では、周囲をまずは認めさせるために、成果を先に出すことにしている。その実績を元に、自分の「主張」を周囲に説得したいのだ。いきなり「権利」から入っても反対されるに決まってる。
プライベートでは、基本的に最低限のことだけ抑えてれば、自由きままに日常を謳歌しても良いと考えてる。
本当は頭で考えるのは苦手だし、自分の感性一つで、自由気ままに生きていきたいんだけど、
自由であるために、私は足りない「頭」を一生懸命使って、努力してるんだよ(笑)
不自由な世の中で輝く、一瞬の「自由」な一時。
その時代、その時の責任をしっかりと果たしながらも、少しずつ積み上げた「自由」の枠の中で、粘り強く、己の道を貫き通すのだ。
自由と不自由は、表裏一体。
自由の身になれる日を夢見て、今日もわたしは今現在の責務を全うすべく、社内を駆け巡る日々を過ごしているw
人間の証明
日曜日に鑑賞した「人間の証明」。
すっごく楽しみにしていた分、
不完全燃焼感が半端なかったよー(涙)
簡略されたストーリーになってて、
物語の重みが軽減されているように感じました。。
「人間の証明」っていうのは森村誠一原作の
1977年に映画化された角川作品です。
「人間の証明」
原作 森村誠一
監督 佐藤純彌
脚本 松山善三
出演 岡田茉莉子、松田優作、ハナ肇、夏八木勲、新見隆、ジョー山中等
公開 1977年(昭和52年)
配給 東映
時間 133分
登場するのは、過去に色々と想いを馳せる人物たち。
息子を捨て現在の地位に上り詰めた母親の過去。
捨てた母親をいまなお求める息子。
目の前で父親を殺された過去をもつ刑事。
ある事件をキッカケに、彼らの人生が交錯して物語が進行していきます。
事件の謎にせまるのは、松田優作演じる「刑事・棟居(むねすえ)弘一郎」。彼の執拗な追い込みに、欠けていたピースが1つひとつ埋まっていく。。
そこにあったのは、何か。
愛ってなんだ!
そんなことを考えさせられる名作映画でございます。
私が最初にこの作品を知ったのは、ある方に教えてもらったことがキッカケなんだ。
その方の話すストーリーに、私は引き込まれた。
なんて…なんて切ないストーリーなんだ!って、話を聞いていただけなのに、涙まで流しだす始末(笑)
それぞれの想いがすれ違って、
そんな結果になってしまうなんて…と、
やるせない気分となったんだ。
けど、とても現実に近い物語だなって感じた。
切ないけど悲しいけど、現実ってこうだよなぁって思ったんだ。
そしてさ。
物語全体を覆う西条八十の「帽子」っていう詩が、
も~たまらなく、はかなくて美しいんだよね!!
--------------------------------
帽子 西条八十
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。
--------------------------------
映画公開時に用いられた有名な台詞。
「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね ええ、夏、碓氷から霧積へ行くみちで 渓谷へ落としたあの麦藁帽ですよ…」
当時、ジョー山中が歌う「人間の証明」のテーマソング(「Mama, Do you remember...」)は、この西條八十の詩を英訳したものらしいんだ。
胸が苦しいけど、本当に良い歌なんだわ。
今回のスペシャルドラマで残念だったのは、母親の最期が映画版と異なった点と、藤原達也演じる刑事の過去に対する心情が薄っぺらくなってた点なんだよー。
深みがなかったの。
ちょっぴり残念だけど、現代ではあれくらいの方が分かりやすいのかもなぁ。
何はともわれ、「人間の証明」をスペシャルドラマで見れるなんて思わなかったから嬉かったなぁ!
小説版も見てみようと想います!
年齢
私には憧れてた年齢があった。
まずは7歳。
私は七夕生まれなもんで、
7月7日生まれ、7歳です!
っていう自己紹介に並々ならぬ憧れがあったんだよw
7がみっつ揃ったラッキーセブンな星の元に生まれた私をみんな見て!
そんな自意識過剰な自己紹介を日夜夢見てたのだ。
7歳になった1年間は、聞かれてもないのに自己紹介をしまくったw
どうせなら、名前もナナちゃんに改名したいくらいだ。
そしたらさ。
数年後、漫画NANAのブームに便乗して、私もモテモテの学生時代を過ごせたかもしれないのに。
NANAに憧れる男子生徒の心を鷲掴み。
NANAはしょせん漫画の中の架空のキャラクター。リアルナナのあたしで我慢しなって好きな男子を言いくるめ、自分に振り向かせることだって出来たかもしれぬ。
まぁ、それくらい7という数字にやたら執着していたんだ。
次に憧れたのは14歳。
当時の私にとって14歳は、男女交際をスタートさせるのに最も適した年齢に思えたのだ。
毎月届いていた進研ゼミの漫画コーナーにも、制服姿の女の子に初めて彼氏なる存在ができたり、愛しのあの子にラブレターを書く様子が赤裸々に登場していたんだ。
進研ゼミは教材だったので、必ずオチとしては勉強を頑張る女の子というシーンで終わっていたが、恋も勉強も頑張る女の子像にわたしの胸はときめいた。
私の中学校生活にも、そんな甘酸っぱいことが起きるのかしら。
早く14歳になりたいな。
そんなことを考えていた。
14歳になった私は、クラスメイトの中から彼氏候補を物色してみた。
どうしよう。。
どいつもこいつもタイプぢゃない(笑)
そもそも恋心すら何なのか分からなかった。
体育祭の日。
1番盛り上がるクラス対抗の男子リレーが行われた。
すると、クラスメイトの竜巳くんが、並みいるツワモノ達をどんどん引き離し、華麗にクラスを優勝に導いてくれたのだ。
そもそも竜巳は陸上部で1番期待されるエースランナー。
見た目はまったくタイプではないが、竜巳というのはなかなか良い男ではかいか。
ちなみに私は、
何とも思ってなかったクラスメイトを突然意識しはじめるシュチュエーションにも憧れをもっていた。
よっしゃ!竜巳を意識してみましょう!
と、早速竜巳を数日間観察してみることにした。
ふむふむ。
竜巳は、不器用タイプの口数が少ない男なのね。
そして何より優しいし、自分の足の速さをひけらかすような言動も全くみられない。
竜巳、いいかもしれない!
私はすぐに竜巳に告白して見ることにした。
すると竜巳は戸惑いながらもすぐにオッケーしてくれたんだよ。
14歳で念願の彼氏ができた!
ところがだ。
わたしは早速その夜に憂鬱な気分になってしまったんだ。
私は恋がしたくて、その相手として良い人だからって理由で竜巳を選んでしまって、しかも自分から交際を申し込んだ。
けど、それって好きとは全然違うことに気づいてしまったんだ。
人を好きになるって、スペックや条件とかぢゃない。
もっと心の奥側から湧き上がる好きという感情がないと付き合えないって実感してしまったんだ。
私は言いにくいけど、竜巳にそのことを伝えたんだ。
自分から言ったのに本当にごめんってさ。
竜巳はすぐに大丈夫だよっていってくれた。
自分の軽率な行動で優しい竜巳を振り回してしまったと反省。
でもそこで、次からは憧れとかではなくて純粋に好きな人が現れたら行動しよう!って決めたんだよね。
ほろ苦い14歳の秋の出来事だった。
次に憧れたのは17歳。
なんだか17歳って特別な年齢に感じたんだ。
小説や歌でも17歳って年齢が頻繁に出てくるぢゃない。
自分の人生の舵取りをどうしていくか具体的に意識する年齢だし、大人でもなければ子供でもない。
そんな中途半端な年齢にしか味わえない葛藤や甘酸っぱい青春に、私は心を弾ませていた。
思った通り、17歳は激動の年だった。
私の声の持病が発症したり、無期停学になったり、退学の危機を前に自分の周囲の人の優しさに気づいたり、学校という息苦しい狭い空間での自由、社会のこと、自分の人生について考えた。
大人でもなく、子供でもない、未熟な私の心の叫びが溢れた一年だった。
甘酸っぱい展開はなかったにしても、17歳という特異な年齢だけに訪れる青春を過ごしたのは間違いない。
次に憧れたのは25歳。
私は19歳から付き合ってた彼氏と25歳で結婚する約束をしてたんだ。
当時から私には夢があったから、とりあえず仕事をめいいっぱい頑張りたい。
25歳といえば、社会人7年目である。
7年もスキルを磨き続けたら、ある程度の結果は出るんぢゃないか。そしたら満足である。
25歳になったら、結婚して落ち着いて、彼氏と事務所でも構えて、私は子育てしながら家で仕事をサポートする。
明るい家族計画である。
だから、25歳は特別な年齢。
それまでは色んなことに挑戦するつもりだった。
現在、私は28歳。
独身である(笑)
憧れは憧れとして散り、私は新たな目標に向けて邁進する日々である。
そして、自分の中で変化がおきた。
昔から一定の年齢に憧れをもって生きてきたが、最近はそういって憧れは一切なくなったんだ。
何歳になったらこうしたいではなく、
今の私はそうゆうベクトルで物事を見なくなっていったのだ。
28歳にもなると、周囲からはやたら年齢を引き合いに出してくる。
彼氏はいないといえば、まだ28だからそんなことをいえるんだとか、
結婚願望もないといえば、あっという間にそんなことを言えない年になるよとか。
有り難い反面、わたしは既に年齢に対する意識を25歳を区切りに卒業してしまったので、キョトンとすることが多い。
女としての幸せは、自分の人生であったらあったでとても嬉しいけど何がなんでも叶えたいことではないだ。
それよりも、自分の人生で何がなんでも叶えたいのは、幼いころからの誰かの力になれるものを生み出したいって夢だ。
日々の仕事を積み重ねながら、今やるべきことも大切に、そして本当に叶えたい目標も常に胸において毎日を過ごす。
そんな日々は、私にとってとてもハリがあり、幸せな人生だと感じさせてくれるんだ。
最近嬉しいことに、恋でもしてるのか、綺麗になったと言われることが多い。
周囲が感じる私の目の輝きは、今年に入って自分を取り戻しつつあることと、日々を大切に過ごすようになったこと。
そして何より、
目指すべき道を心の眼で真っ直ぐに捉えているからだと思っている。
ゲラゲラ
昨日の宣言通り、行ってまいりました。
私の駆け込み寺「ゲラゲラ」に!
今宵は決戦ぢゃぁああ~!
ということで、
夜は銭金を鑑賞しながら、ポトフ作り。
具は冷蔵庫の残り物のジャガイモとキャベツだけ。
シンプル過ぎるスープだったけど、私はあえてポトフだと言い張りますよ!(笑)
熱々のポトフを食べながら、今日のネカフェでの作戦を練る。
大穴はキングダム!
だがしかし。
もしキングダムが無かったら何を読もう?
限られた時間で漫画を沢山読んで至福の時間を過ごしたいのだ。
私はゲラゲラにいくと必ず8時間パックか、12時間パックをご所望する。
そして喫煙可の個室だ。
漫画に没頭するには、オープン席ぢゃダメなの。
ゴロンと横になったり、アグラかいたり、スカートが大胆に捲り上がることも気にせず、楽な格好で読みたいんだから!(笑)
ちなみにズボンは楽な格好できないから、ゲラゲラにいくときはいつもスカートなの。
そして万が一、眠気にさいなまれたとしても安心できる時間配分ぢゃなくっちゃね!(笑)
あたしが好きな時間帯は、23時くらいからのご入店で早朝に帰宅するコースだ。
0時になると消灯するんだ!
で、各席に設けられた電気スタンドの明かりで漫画を読むの。
そうするとさ。
なんだかワクワクするの!(笑)
あとシーンとした店内で寝言言ってる人とか、スナック菓子をボリボリむさぼってる人とか、朝にアラームで起きだす人の物音とか、
面白いの!!(笑)(笑)(笑)
今回も楽なワンピースに、チョンマゲのスタイルで参上。
手早く受付をすませると、
あたしはセッセと居心地良い空間づくりをスタートさせた。
まずはドリンク!
大好物のメロンソーダと、チェーサー的な意味を込めて烏龍茶をスタンバイ。
そしてキングダムを探しにウロウロ(笑)
自力で見つからなかったため、店員にいざなわれつつ、大量ゲットだ。
途中読みかけの漫画も見つけ、スムーズに手に取る。
最後にトイレにいくと準備OK。
これがあたしのラインナップだ!(笑)
大きめのクッションに横たわりながら、キングダムを読み始める。
途中ペースアップのため、パラパラ戦略で追い上げる場面もあったが、なんとか新刊の46巻まで読破しましたww
頬張ったお菓子は2袋!
ドリンクは6杯!
トイレは7回!(笑)
充実のゲラゲラDAYでした。
あっそうそう。
0時を超えたあたりから、寝言をいいだす野郎も2人ほどいました。
うち1人は、うなされてたったさwww
ウンウン唸っててさ。
ちょっと心配したよね。
寝っ屁をしたやつも2、3人いたしさ(笑)
定期的に必要な私の幸せタイム。
次は、12時間パックにしようっと(笑)
ゲラゲラ
朝までキングダム
昨日の宣言通り、行ってまいりました。
私の駆け込み寺「ゲラゲラ」に!
今宵は決戦ぢゃぁああ~!
ということで、
夜は銭金を鑑賞しながら、ポトフ作り。
具は冷蔵庫の残り物のジャガイモとキャベツだけ。
シンプル過ぎるスープだったけど、私はあえてポトフだと言い張りますよ!(笑)
熱々のポトフを食べながら、今日のネカフェでの作戦を練る。
大穴はキングダム!
だがしかし。
もしキングダムが無かったら何を読もう?
限られた時間で漫画を沢山読んで至福の時間を過ごしたいのだ。
私はゲラゲラにいくと必ず8時間パックか、12時間パックをご所望する。
そして喫煙可の個室だ。
漫画に没頭するには、オープン席ぢゃダメなの。
ゴロンと横になったり、アグラかいたり、スカートが大胆に捲り上がることも気にせず、楽な格好で読みたいんだから!(笑)
ちなみにズボンは楽な格好できないから、ゲラゲラにいくときはいつもスカートなの。
そして万が一、眠気にさいなまれたとしても安心できる時間配分ぢゃなくっちゃね!(笑)
あたしが好きな時間帯は、23時くらいからのご入店で早朝に帰宅するコースだ。
0時になると消灯するんだ!
で、各席に設けられた電気スタンドの明かりで漫画を読むの。
そうするとさ。
なんだかワクワクするの!(笑)
あとシーンとした店内で寝言言ってる人とか、スナック菓子をボリボリむさぼってる人とか、朝にアラームで起きだす人の物音とか、
面白いの!!(笑)(笑)(笑)
今回も楽なワンピースに、チョンマゲのスタイルで参上。
手早く受付をすませると、
あたしはセッセと居心地良い空間づくりをスタートさせた。
まずはドリンク!
大好物のメロンソーダと、チェーサー的な意味を込めて烏龍茶をスタンバイ。
そしてキングダムを探しにウロウロ(笑)
自力で見つからなかったため、店員にいざなわれつつ、大量ゲットだ。
途中読みかけの漫画も見つけ、スムーズに手に取る。
最後にトイレにいくと準備OK。
これがあたしのラインナップだ!(笑)
大きめのクッションに横たわりながら、キングダムを読み始める。
途中ペースアップのため、パラパラ戦略で追い上げる場面もあったが、なんとか新刊の46巻まで読破しましたww
頬張ったお菓子は2袋!
ドリンクは6杯!
トイレは7回!(笑)
充実のゲラゲラDAYでした。
あっそうそう。
0時を超えたあたりから、寝言をいいだす野郎も2人ほどいました。
うち1人は、うなされてたったさwww
ウンウン唸っててさ。
ちょっと心配したよね。
寝っ屁をしたやつも2、3人いたしさ(笑)
定期的に必要な私の幸せタイム。
次は、12時間パックにしようっと(笑)